【正解】2
【解説】
16世紀後半、ポルトガルやスペインの宣教師は布教と教育のために印刷物を大量に必要とし、日本各地(とくに長崎や天草)に印刷拠点を設けました。彼らが導入したのが「金属活字による活字印刷術(いわゆる〈キリシタン版〉)」です。活字を一字ずつ組み合わせて紙面を作る方式は、同一版面を素早く再現でき、誤植の修正や再版も容易であるため、木版整版よりも柔軟で大量生産に向いていました。
当時のキリシタン版は、ラテン語・ポルトガル語だけでなく、日本語をローマ字表記した文献(文法書・辞書・教理書など)も多数刊行し、日本語研究や語彙の整理にも大きく貢献します。代表的な成果として、日本語の体系的記述をめざした文法書や、当時の語彙を収めた辞書が挙げられ、後世の国語史・言語学研究にも重要な資料となりました。さらに、この西洋式の活字印刷は日本側の関心を刺激し、江戸初期には国内でも活字版の制作が盛んになっていきます。
一方、選択肢1の木版整版は、日本では中世以来普及していた在来の技法です。選択肢3の写経や4の絵巻の彩色は、出版・複製というより書写・絵画制作の領域であり、「宣教師が伝えた新技術」という条件には当てはまりません。以上より、この時代の出版関係の新技術として正しいのは金属活字による活字印刷術です。
まとめ:
桃山文化は、安土桃山時代(16世紀後半から17世紀初頭)に栄えた日本独自の文化で、織田信長や豊臣秀吉といった天下人の権力を背景に生まれました。この時代は、戦国の動乱を経て天下統一へと進む過程にあり、権力者たちは威信を誇示するために壮麗で豪華な文化を生み出しました。桃山文化の特色は、豪華さと華やかさ、そして実用性や大衆性を併せ持つ点にあります。
建築の分野では、安土城や大坂城、伏見城といった巨大な城郭建築が代表的です。これらは単なる軍事拠点にとどまらず、支配者の権威を象徴する壮大な居館としての役割を担いました。内部には金箔を多用した障壁画が施され、狩野永徳を中心とする狩野派の絵師たちが「唐獅子図屏風」などの迫力ある作品を描きました。これにより、武家の威勢を表現するとともに、絵画が建築空間を彩る重要な要素となりました。
また、茶の湯の大成者である千利休は、簡素と静寂を重んじる「わび茶」を完成させました。質素ながら精神性を重んじた茶室建築や茶器の美意識は、豪壮な権力文化と対照的に、内面的な豊かさを示すものでした。この二面性が桃山文化の幅広い魅力を形づくっています。
芸能の面では、出雲阿国による「かぶき踊り」が流行し、のちの歌舞伎の起源となりました。また、琉球から渡来した三味線を用いた人形浄瑠璃も登場し、庶民文化の隆盛を支えました。これらは民衆が楽しむ娯楽として発展し、後の江戸文化へとつながっていきます。
さらに、西洋文化の伝来も桃山文化を特徴づける要素です。宣教師を通じてキリスト教や南蛮文化が伝わり、南蛮屏風や洋風の工芸品が制作されました。また、金属活字による活字印刷術が導入され、出版文化の基盤が築かれました。
総じて桃山文化は、豪華絢爛な権力者の文化と、簡素な精神性を追求する茶の湯や庶民芸能、西洋文化の影響が交錯する多様で活力ある時代の文化であったといえます。これは、後の江戸時代の町人文化や日本美術の展開に大きな影響を与えました。
参考文献:
辻惟雄著 (2021) 『日本美術の歴史 補訂版』東京大学出版会
魚住孝至著 (2022) 『日本文化と思想の展開ー内と外と』放送大学教育振興会