空海のことがよくわかる！クイズ八十八問（その７）

正解：2. 本能のままに生きる心

解説：

『秘蔵宝鑰』は、空海が真言密教の教理と修行体系を示すために著した代表的な論書のひとつです。その中で空海は、人間の心を十段階に分け、それぞれの段階に応じた精神状態や修行の道を示しています。

「第一異生羝羊心（だいいち いしょう ていようしん）」とは、その十段階の心のうち最も低いレベルに位置づけられる心です。「異生」は迷いの世界に生きる凡夫を、「羝羊」は発情した雄ヤギを意味し、性欲や食欲などの本能に従って生きる動物的な心を象徴しています。空海はこの心を「愚夫随逐心（ぐふずいちくしん）」とも呼び、欲望に流されて生きることの危うさを示しています。

このような心のままでは、仏道に目覚めることは困難であり、修行を通じて段階的により高い精神状態に移行する必要があると空海は説いています。したがって、「第一異生羝羊心」は、仏教的な成長の出発点として認識される一方で、克服すべき心としても強調されているのです。

正解：3. 人倫に目覚めて、道徳に従って生きる心

解説：

『秘蔵宝鑰』は、空海が真言密教の深奥を解き明かす中で、人間の心の発達段階を十段階に分類して論じた重要な著作です。その中の「第二愚童持斎心」は、第一段階の「異生羝羊心」から一歩進んだ心の在り方を示します。

この「愚童持斎心」とは、文字通り「愚かな子どもが斎（ものいみ）を守るような心」とされており、未熟ながらも倫理的な善悪を認識し、欲望のままに生きる生活から抜け出して、社会的規範や道徳に従って生きようとする心を意味します。空海はここで、善行や戒律を守ることの価値を認めつつも、それがまだ真理を見極めた悟りの心には至っていないという限界も指摘しています。

この段階では、仏教の深い教理までは理解していないものの、人間としての基本的な徳目や倫理観に目覚めている状態です。そのため、仏道修行への第一歩として非常に重要な段階とされています。空海は、こうした道徳心がやがてより高次の「菩提心」へと進むための土台となると説いています。

正解：2. 神や天を仰いで生きていく心

解説：

『秘蔵宝鑰』において空海は、人間の心の発達を十段階に分け、それぞれの段階に応じた精神的な特徴と宗教的姿勢を説いています。「第三嬰童無畏心（ようどうむいしん）」は、その中で第三段階に位置づけられる心です。

この「嬰童」とは「赤ん坊・幼子」を意味し、「無畏」とは「恐れない」ことを示しています。すなわち、「第三嬰童無畏心」とは、無垢で純真な子どものように、恐れを持たず神聖な存在を信仰し、神や天に祈りながら生きる姿勢を表します。

空海はこの心を、インドのバラモン教や中国古代の道教・神道的な信仰と重ね合わせ、天命や神意を畏敬する一種の「自然宗教的段階」として捉えています。まだ仏教の教理に達していないものの、心が清らかで、超越的な存在への信仰心を持つため、前段階よりも精神的に高い位置にあるとされています。

このような心の在り方は、素朴でありながらも霊性を帯びており、仏教的な悟りの道へと至る過程の中で、自然と宗教への敬意を育む大切な通過点とされているのです。

正解：3. 小乗仏教の、特に声聞乗の心

解説：

『秘蔵宝鑰』において空海は、人間の精神的成長を十段階に分けて論じています。「第四唯蘊無我心（ゆいうんむがしん）」はその中の第四段階に位置しており、仏教的な理解が深まりつつある段階を示しています。

「唯蘊無我」とは、仏教における基本的な教理である「五蘊（ごうん）」――色（身体）、受（感受）、想（思考）、行（意思）、識（認識）――の集合体としての自己を認め、「我」という固定的な実体が存在しないと観ずる心を指します。これは、釈迦の説いた「無我」の思想に基づくものであり、小乗仏教（特に声聞乗）において重視される解脱の道です。

この段階にある人は、自我への執着を断ち切り、煩悩を滅して涅槃に至ることを目指します。しかし空海は、この「唯蘊無我心」があくまで自己の解脱を目指す「小乗」の段階であり、真の仏教の完成形である「大乗」や「密教」には至っていないと位置づけています。

したがって、「第四唯蘊無我心」とは、小乗仏教の実践者、特に声聞（釈迦の声を聞いて修行する者）に特徴的な心であり、より高次の大乗的・密教的な心へと進むべき中間段階とされているのです。

正解：2. 小乗の縁覚乗の心

解説：

『秘蔵宝鑰』は、空海が人間の心の発達と宗教的成熟の道筋を十段階に分類して示した書物です。その第五段階にあたる「抜業因種心（ばつごういんじゅしん）」は、小乗仏教の中でも「縁覚乗（えんがくじょう）」に属する修行者の心を表しています。

「抜業因種」とは、過去の悪業（あくごう）や迷いの因（原因）を根源から断ち切ろうとする修行の姿勢を意味します。縁覚とは、自らの内省と十二因縁の理解によって迷いを断ち、悟りに至ろうとする修行者を指します。彼らは師（釈迦）に直接教えられることなく、自然界の縁（春の花の開花など）を通じて真理に目覚めるとされており、声聞よりも一段深い洞察力を持つと位置づけられます。

しかし、空海はこの段階の修行者も、あくまで自利（自分の悟り）を目的としている点で「小乗」にとどまっており、利他を重視する「大乗」や「密教」の菩薩の境地には至っていないと考えます。したがって「第五抜業因種心」は、迷いを断つ高い能力を持ちながらも、まだ仏道の最終目的には至っていない段階の心とされるのです。

正解：2. これから大乗仏教となり、まず法相宗の心

解説：

『秘蔵宝鑰』における「第六他縁大乗心」は、空海が示した十住心論の第六段階にあたる心の状態です。この段階では、人間の精神的成長が「小乗」から「大乗」へと進みつつあり、利己的な悟りではなく、利他の精神を備えた仏道に入ろうとする兆しが見られます。

「他縁大乗心」とは、「他の縁によって大乗に目覚める心」という意味であり、他者や教えに導かれて大乗仏教に入門する段階を指します。ここで空海が特に言及しているのが「法相宗（ほっそうしゅう）」です。法相宗は、唯識思想を中心とした大乗仏教の一派で、すべての現象が「識（しき）」、すなわち心のはたらきに基づいて生起するという理論を展開します。

この段階の修行者は、世界や自我の本質が「識」によって構成されていることを理解し始め、個人の解脱から衆生済度への意識を持ち始めます。しかし、まだ完全に大乗菩薩の利他行に生きているわけではなく、理論的な理解をもとに大乗の教えに入りつつある状態です。

空海はこの「第六他縁大乗心」を、大乗仏教への移行段階として重要視しつつも、さらに高次の「自縁大乗心」や「秘密大乗心」へと進むべきものと位置づけています。したがって、この心は「これから大乗仏教となり、まず法相宗の心」として理解されるのです。

正解：3. 三論宗の心

解説：

『秘蔵宝鑰』で空海が提示する「第七覚心不生心」は、十段階の住心（心の成熟の階梯）のうち、大乗仏教の中でも中観思想を重視する段階にあたります。この心は「三論宗（さんろんしゅう）」の教理に基づくとされ、特に「中道の智慧」を体現する心のあり方です。

三論宗とは、龍樹（ナーガールジュナ）によって開かれた中観派の思想を継承し、『中論』『十二門論』『百論』の三つの論書を基本とする大乗仏教の宗派です。その核心は、「空（くう）」の思想にあり、すべての存在には実体がなく、縁起によって成り立っているため、執着すべきものは何もないと説きます。

「不生心（ふしょうしん）」とは、すべての法（存在）が本来不生（生じない）であるという真理を覚知した心です。この心は、事物や自己の実在性への執着を離れ、「生まれることも、滅することもない」とする深い空観に基づいています。これにより、一切の妄想や分別を超えた、絶対的な平静さと智慧が生まれます。

空海はこの「覚心不生心」を、三論宗の教義として高く評価しながらも、まだ密教の最深奥に至る手前の段階であると位置づけています。つまり、「第七覚心不生心」は、深い哲学的悟りに達した三論宗の心であり、仏教思想における高度な知的到達点を示しているのです。

正解：4. 天台宗の心

解説：

『秘蔵宝鑰』における「第八如実一道心」は、十住心の中でも高度な大乗仏教の悟りに達した段階を表しています。この段階に該当するのが、天台宗（てんだいしゅう）の教義です。

「如実一道心」とは、「如実に物事の真理を見極め、一つの道に徹する心」という意味で、天台宗の中心思想である「一念三千」や「法華一乗（ほっけいちじょう）」の教えと深く関わっています。天台宗は、すべての存在が法華経に説かれる究極の真理に帰一し、煩悩即菩提・生死即涅槃の立場から、迷いと悟りを対立させず、一つの道として統合的に理解します。

この心に到達した者は、もはや物事の表面的な差異に惑わされず、あらゆる存在が仏性を備えており、そのまま悟りに通じているという深い真理を実感しています。空海は、この天台宗の悟りの段階を高く評価しつつも、さらにその上にある密教的境地、「秘密荘厳心」「即身成仏心」へと進むべきだと説いています。

したがって、「第八如実一道心」は、天台宗に見られる統一的・包括的な仏教理解に基づいた高度な悟りの心であるといえます。

正解：2. 華厳宗の心

解説：

『秘蔵宝鑰』における「第九極無自性心」は、十住心の第九段階にあたる極めて高度な精神的境地を指し、これは華厳宗（けごんしゅう）の教えを代表する心です。

「極無自性心」とは、すべての存在が本質的には「自性」（固定的・独立的な本質）を持たないという真理に、極限まで深く目覚めた心を意味します。華厳宗は、法界縁起の思想を基盤とし、「一即一切・一切即一」という教理を通じて、あらゆる存在が互いに関係し合い、全体として調和する宇宙観を展開します。

この心においては、自他・因果・時空といったあらゆる区別を超え、万物が一つの真理の中に無限に溶け合うと理解されます。自性がないとは、何一つとして独立自存せず、すべてが縁起（他との関係性）によって存在しているということであり、その深い体得が「極無自性心」です。

空海はこの華厳の境地を深く尊重しつつも、さらにその上位に位置づける「第十秘密荘厳心（密教の悟り）」へと至ることを勧めています。すなわち、「第九極無自性心」は、華厳宗の円融無碍な宇宙観に基づいた非常に高度な悟りの心であり、仏教思想の頂点に限りなく近い位置にあると評価されているのです。

正解：3. 真言密教の心

解説：

『秘蔵宝鑰』において、空海が最終段階として示した「第十秘密荘厳心」は、真言密教の究極の悟りの境地を表しています。この心は、十住心の頂点に位置づけられ、すべての仏教思想の到達点であると同時に、空海自身の宗教観の完成形でもあります。

「秘密」とは、密教における「三密（身・口・意）」の修行を通じて、仏と行者が一体となる奥深い教義を意味します。「荘厳」とは、仏の世界（曼荼羅）を実際にこの身に顕現し、浄土の如き美しさと調和を身に帯びることを表します。この心に至った者は、もはや悟りを外に求めるのではなく、自らの身口意を用いて大日如来と一体化し、「即身成仏（そくしんじょうぶつ）」を果たします。

このように、「第十秘密荘厳心」は、真言密教の行者が到達すべき最終目的地であり、理論と実践が融合した完成された仏道の体現です。空海はこの境地こそが、全ての宗教・哲学体系を統合する究極の教えであるとし、『秘蔵宝鑰』全体を通じてこの心の重要性を強調しています。

したがって、この「第十秘密荘厳心」は、真言密教の深奥にして最高の悟りの心であり、空海が到達した精神の極致を象徴するものなのです。

大日如来像

参考文献：

加藤純隆・加藤精一訳・著『ビギナーズ 日本の思想　空海「秘蔵宝鑰」こころの底を知る手引き』（角川ソフィア文庫）
竹村牧男著『新・空海論』2023年 青土社