露天神の境内にあるお初と徳兵衛のブロンズ像 (Wikipedia) HOME > 歴史 > 日本史 > 日本史 元禄文化(文学)のことがよくわかる!クイズ10問 2025年8月29日 日本史クイズ 元禄文化(文学)のことがよくわかる!クイズ10問 1 / 10 Q1. 大坂の町人出身で、広く町人層を読者対象とする新しい文学ジャンル「浮世草子」ですぐれた作品を多数残した元禄時代の小説家は誰ですか? 1. 近松門左衛門 2. 松尾芭蕉 3. 本居宣長 4. 井原西鶴 井原西鶴 (Wikipedia) 【正解】4. 井原西鶴 【解説】 井原西鶴は大坂の町人出身で、俳諧師として出発したのち、元禄期に町人を主な読者とする散文文学「浮世草子」を確立した作家です。『好色一代男』(1682年)で市井の色恋と風俗を軽妙に描き、『日本永代蔵』(1688年)では商人の金銭感覚や商道徳を写実的に描出し、『世間胸算用』(1692年)では年末の大坂を舞台に「勘定ずく」の生活感情を活写しました。西鶴の筆致は、俳諧で鍛えた機知と簡潔さ、テンポの良さを備え、武家や公家中心の価値観から離れて、町人の欲望・合理性・機略を文学の中心に据えた点に革新性があります。 誤答のうち、近松門左衛門は人形浄瑠璃・歌舞伎の脚本家で『曾根崎心中』などで知られます。松尾芭蕉は俳諧の大家で『奥の細道』の作者ですが、小説家ではありません。本居宣長は国学者であり、浮世草子とは時代・分野が異なります。本問の「浮世草子」を代表する作家として適切なのは井原西鶴です。 2 / 10 Q2. 西鶴の作品は大きく三つにわけることができます。それは、次に挙げるうちのどれでしょうか? 1. 俳諧物・怪談物・紀行物 2. 好色物・町人物・武家物 3. 和歌物・説話物・仮名草子 4. 浮世絵物・随筆物・軍記物 【正解】2. 好色物・町人物・武家物 【解説】 井原西鶴の散文作品は、題材と読者層を踏まえて一般に「好色物」「町人物」「武家物」の三類型に大別されます。 好色物 は遊里・色道・男女関係を主題に、市井の恋愛や情念を機知と写実で描く系統です。代表作に『好色一代男』『好色一代女』『好色五人女』などがあり、当世風俗の細部まで活写することで読者の共感を呼びました。 町人物 は大坂・江戸の都市社会、とりわけ商人の金銭感覚・商道徳・勘定ずくの生活感情を描く作品群です。『日本永代蔵』『世間胸算用』は、利潤追求と世渡りの知恵、人情の機微を軽妙に描き、町人文学としての新しい地平を切り開きました。 武家物 は武士社会の名誉・義理・面目といった価値観や、合戦譚・武辺の気風を素材にした類型で、『武家義理物語』『武道伝来記』などがよく知られます。西鶴は武家をも“世間”の一部として捉え、理想と現実のずれを含めて描写しました。 誤答の各組み合わせは、西鶴の俳諧活動や同時代ジャンル(怪談・紀行・随筆・軍記・仮名草子等)に由来する語ですが、西鶴作品の基本的三分類としては適切ではありません。 3 / 10 Q3. 天和の大火で火元の一つとなったと言われる放火事件の犯人「八百屋お七」をモデルの一人にした西鶴の浮世草子の題名は何ですか? 1. 好色一代男 2. 世間胸算用 3. 好色五人女 4. 日本永代蔵 月岡芳年 松竹梅湯嶋掛額(八百屋お七)(Wikipedia) 【正解】3 【解説】 井原西鶴の『好色五人女』(1686年刊)は、実在の女性をモデルにした五つの恋愛物語から成る浮世草子で、その一つに八百屋お七を下敷きとした物語が含まれます。お七は天和期の江戸で恋人に再会するため放火に及んだとされ、悲恋と激情の象徴的存在として当時の町人社会に強い印象を残しました。西鶴はこの騒然たる市井の話題を文学化し、恋情が法や秩序を越境してしまう人間の情の強さ、そしてそれがもたらす破滅と哀惜を、簡潔で写実的な筆致で描き出します。なお、選択肢のうち『好色一代男』(1682年)は男性放蕩者の遍歴、『日本永代蔵』(1688年)と『世間胸算用』(1692年)は町人の経済・暮らしを題材にした作品で、お七を題材とするものではありません。『好色五人女』こそが、お七像を文学的に定着させた代表作と言えます。 参考サイト: 私の東京散歩お七・吉三悲恋の道を辿る(その1):吉祥寺、お七の墓https://itsenior.jp/tokyowalk/kisshoji-enjoji/ 5,715 total views, 33 views today 目 次 散歩の記録私の散歩マップフォト・エッセイ吉祥寺駒込・大円寺円乗寺 お七の墓関連ペ 私の東京散歩お七・吉三悲恋の道を辿る(その2):目黒、鈴ヶ森https://itsenior.jp/tokyowalk/meguro-suzugamori/ 6,480 total views, 33 views today 目 次 散歩の記録私の散歩マップフォト・エッセイ目黒 大円寺鈴ヶ森刑場跡散歩の記録 日時 4 / 10 Q4. 幽玄閑寂に重きを置き、俳諧を芸術の域にまで高めた、元禄時代の俳人は誰でしょうか? 1. 与謝蕪村 2. 小林一茶 3. 井原西鶴 4. 松尾芭蕉 『三日月の頃より待し今宵哉』(月岡芳年『月百姿』)松尾芭蕉 (Wikipedia) 【正解】4 【解説】 正解は松尾芭蕉です。芭蕉(1644–1694)は元禄期を代表する俳人で、「さび・しをり・ほそみ」に象徴される幽玄閑寂の美を追究し、滑稽性の強かった俳諧を文芸の高みへと引き上げました。蕉風と呼ばれる作風を確立し、『奥の細道』の旅と俳文・発句によって、自然と人事の響き合いを簡潔な言葉に凝縮する表現を示しました。また、「不易流行」という理念を掲げ、普遍の本質(不易)と時代性(流行)の調和を重んじた点でも後世に大きな影響を与えます。 一方、与謝蕪村は江戸中期〜天明期の俳人で俳画的・絵画的叙情に特色があります。小林一茶は化政期の俳人で、弱者へのまなざしや素朴で温かな作風が知られます。井原西鶴は主として浮世草子の作者で、俳諧にも関わりましたが、俳諧を芸術の域に高めた中心人物ではありません。以上の点から、設問の条件に最も合致するのは松尾芭蕉となります。 関連クイズ: クイズいろいろ2024.01.25松尾芭蕉のことがよくわかる!クイズ10問https://quiziroiro.com/松尾芭蕉のことがよくわかる!クイズ10問 5 / 10 Q5. 芭蕉が元禄2年、46歳の時に陸奥・出羽・北陸を旅したときに著した紀行文は何と言いますか? 1. 笈の小文 2. 更科紀行 3. 野ざらし紀行 4. 奥の細道 「奥の細道行脚之図」、芭蕉(左)と曾良(森川許六作)(Wikipedia) 正解:4 【解説】 『奥の細道』は、元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が門人の曾良を伴い、江戸・深川を発して日光、白河、松島、平泉、出羽の立石寺や象潟、越後を経て北陸路を下り、美濃・大垣に至るまでの旅をもとにした紀行文です。旅の実体験を下敷きに、漢文調の散文(俳文)と発句を巧みに織り交ぜ、古跡の記憶・歴史への省察・自然観照を一体化させた名作として高く評価されています。名句として「夏草や兵どもが夢の跡(平泉)」「閑さや岩にしみ入る蝉の声(立石寺)」などが知られ、日本文学における紀行文の到達点とみなされます。 一方、誤答の各作も芭蕉の紀行である点が紛らわしいですが、旅程が異なります。『野ざらし紀行』は主に東海道往還の旅、『笈の小文』は伊勢・大和・摂津など上方方面、『更科紀行』は信濃更科詣でを中心とします。陸奥・出羽・北陸を縦断した大規模な巡歴を記したのは『奥の細道』です。したがって本問の正解は「奥の細道」となります。 6 / 10 Q6. 元禄時代、近松門左衛門が当時の世相や歴史上の説話・伝説に題材をとって書いた人形浄瑠璃や歌舞伎の二つのジャンルとは何と何でしたか? 1. 和事と荒事 2. 所作事と舞踊 3. 世話物と時代物 4. 能楽と狂言 近松門左衛門像 (Wikipedia) 正解:3 解説 近松門左衛門が活躍した元禄期の人形浄瑠璃・歌舞伎は、題材によって大きく「世話物」と「時代物」に分けられます。時代物は平家物語や太閤記などの歴史・軍記・伝説を下敷きに、武家社会の倫理(忠義・名誉)や大規模な事件・合戦を描く壮大な作風が中心です。近松の代表例としては、異国英雄譚を扱った『国性爺合戦』(1715)や、平家滅亡伝承を題材にした『平家女護島』などが挙げられます。これに対して世話物は、同時代の大坂・京都・江戸の町人世界を舞台に、恋愛・家族・借財・商取引といった日常の具体的事情や「義理と人情」の葛藤を写実的に描くジャンルです。名高い『曾根崎心中』(1703)や『心中天の網島』(1721)は、遊女と商人の恋と社会的制約の狭間での悲劇を、写実的な台詞と緊密な構成で表現しています。 なお、選択肢1の「和事と荒事」は歌舞伎の演技様式(上方の柔和で写実的な和事、江戸の豪壮で誇張的な荒事)であってジャンル区分ではありません。選択肢2の「所作事と舞踊」は主に舞踊劇・舞台様式の呼称で、作品の題材区分とは異なります。選択肢4の「能楽と狂言」は中世以来の別の芸能体系で、近松の浄瑠璃・歌舞伎のジャンル分類とは関係がありません。以上の点から、近松の主要ジャンルは「世話物と時代物」が正解となります。 7 / 10 Q7. 近松門左衛門の書いた世話物の第1作で、実際に大坂の天神で起きた恋人同士の心中事件に題材をとった浄瑠璃の題名は何というものですか? 1. 心中天の網島 2. 曽根崎心中 3. 冥途の飛脚 4. 女殺油地獄 露天神の境内にあるお初と徳兵衛のブロンズ像 (Wikipedia) 正解:2 解説 正解は『曽根崎心中』です。1703年(元禄16年)に大坂・曽根崎の天神の森(大阪天満宮の境内付近)で実際に起きた手代徳兵衛と遊女お初の心中事件を素材に、近松門左衛門が竹本座で上演した作品です。近松にとって初の本格的な世話物であり、町人社会の恋愛・借財・家族事情など日常の現実を舞台に、「義理」と「人情」の深刻な葛藤を写実的なせりふで描き出しました。本作の大成功は、以後の心中物流行の端緒となり、近松の世話物路線を確立します。のちの『冥途の飛脚』(1711)や『心中天の網島』(1721)などもこの系譜に連なる重要作です。なお、『女殺油地獄』(1708)は同じく近松の世話物ですが題材は殺しの事件で、実在の心中事件に取材した本問の作品とは異なります。 8 / 10 Q8. 歌舞伎の起源はどんなことにありましたか? 1. 世阿弥と観阿弥が能を大成したこと 2. 江戸城で武家の式楽として舞踊劇が制定されたこと 3. 京都の四条河原で若衆が遊興の舞を将軍家に献納したこと 4. 出雲大社の巫女だったお国が京都で男装で念仏踊りをしたこと 出雲阿国 (Wikipedia) 正解:4 解説 歌舞伎の起源は、出雲大社の巫女であった出雲阿国(いずものおくに)が、1603年ごろ京都の四条河原で男装し、「かぶき踊り」として知られる念仏踊りや民衆芸能を取り入れた新奇な舞台を演じたことにあります。ここでの「かぶく」は「常ならぬ風体で目を引く」「傾く」を意味し、阿国は太刀や羽織を身に着けた男装で洒脱・滑稽な所作を見せ、庶民の喝采を集めました。これが女歌舞伎(おんなかぶき)として広がり、のちに風紀上の理由で1629年に女性の出演が禁じられると、若衆歌舞伎→野郎歌舞伎へと形を変え、現在の歌舞伎の基盤が整っていきます。 なお、選択肢1の能の大成は中世の芸能史の出来事で、歌舞伎の直接の起源ではありません。選択肢2の武家式楽の制定という事実はなく、歌舞伎はもともと町人文化の担い手によって発展しました。選択肢3の若衆の献納という説明も史実とは異なります。以上より、起源は**「出雲阿国が京都で男装の念仏踊りを演じたこと」**です。 9 / 10 Q9. 近松が歌舞伎の脚本を書いていた元禄時代、江戸と上方で人気を博していた歌舞伎役者は誰でしたか? 1. 市川団十郎と坂田藤十郎 2. 松本幸四郎と尾上菊五郎 3. 中村勘三郎と片岡仁左衛門 4. 市川左團次と市村羽左衛門 初代團十郎が始めた元禄見得(銅像のモデルは九代目) (Wikipedia) 正解:1 解説 正解は市川団十郎(初代)と坂田藤十郎(初代)です。元禄期(1688〜1704)は、歌舞伎が江戸(東)と上方=京都・大坂(西)でそれぞれ独自に成熟した時代で、両者は演技様式の対照でも知られます。江戸の市川団十郎は、太い声、誇張された見得、隈取を特色とする荒事(豪快で力強い英雄像)を確立し、勧善懲悪の世界観を爽快に示しました。一方、上方の坂田藤十郎は、恋愛や町人物を柔らかく情感豊かに演じる和事の名手で、写実的で色気のある演技により町人文化の洗練を体現しました。 この東西のスターの確立は、近松門左衛門が上方で活躍し、写実的な世話物や恋愛悲劇を深めていく流れとも響き合います。近松は初期に上方歌舞伎の脚本も手がけ、上方では藤十郎の和事の芸によって作品世界が豊かに舞台化されました。対して江戸では団十郎が荒事で観客を魅了し、元禄歌舞伎の二大潮流が鮮明になりました。 なお、他の選択肢の名跡は歌舞伎史上重要ですが、元禄期の双璧として東西で同時代的に頂点的人気を誇った組み合わせは市川団十郎と坂田藤十郎である点に注意してください。 10 / 10 Q10. 元禄時代、近松門左衛門の作品を浄瑠璃で演じて人気を博した人形遣いと太夫(語り)は、誰でしたか? 1. 坂田藤十郎と市川団十郎 2. 植村文楽軒と豊竹若太夫 3. 辰松八郎兵衛と竹本義太夫 4. 中村勘三郎と尾上菊五郎 人形浄瑠璃文楽 (文化遺産オンラインより) もう一度! Once More 終わる Finish Visits:264 | Today: 8 | Post Share Pocket Hatena LINE URLコピー -日本史