正解:3. 100歳
解説:
クロード・レヴィ=ストロースは、1908年11月28日にフランスで生まれ、2009年10月30日に亡くなりました。享年100歳という長寿を全うしたことで知られています。彼は20世紀を代表する文化人類学者・構造主義思想家であり、死去時点ではフランス・アカデミー・フランセーズ(フランス学士院)の最長寿会員でもありました。
レヴィ=ストロースは、晩年まで精力的に思索を続け、『野生の思考』『悲しき熱帯』『神話論理』などの著作で、構造主義という知的運動を世界的に広めました。彼の学問的関心は、単なる民族誌の記述にとどまらず、神話や親族制度に潜む無意識的構造を明らかにし、文化の背後にある普遍的な人間精神の在り方を理論化しようとするものでした。
100歳という長寿は、レヴィ=ストロースが20世紀という激動の時代を生き抜きながら、構造主義を通じて新たな人間理解を提示し続けた証でもあります。彼の思想は、現在でも哲学、人類学、文学、記号論などの分野において高い影響力を保っています。
2008年11月、100歳の誕生日を迎えたレヴィ=ストロースを記念して、パリではさまざまな記念行事がおこなわれました。長いあいだ教授を務め1982年に定年退官したコレージュ・ド・フランスでは記念シンポジウムが開催され、誕生日の11月28日、レヴィ=ストロース記念ホールのある、「未開美術」を収めたケ・ブランリ美術館では全日入場無料となり、多くの人が詰めかけたということです。独立系のテレビ局アルテは半日をレヴィ=ストロース特集プログラムにあてました。夜にはサルコジ大統領がレヴィ=ストロースの私邸を表敬訪問したと報じられました。『ル・モンド』『フランス・ソワール』『リベラシオン』といった日刊紙も特集を組んで、その業績と長寿を讃えました。
まとめ:
クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)は、1908年にベルギーのブリュッセルで生まれ、フランスで育ちました。パリ大学(ソルボンヌ)で哲学を学んだ後、1935年からブラジルに渡り、サンパウロ大学で教鞭をとりつつ、アマゾン奥地の先住民の調査を行いました。ここでのフィールドワークは、彼の後の文化人類学的理論の基礎を築く重要な経験となりました。
第二次世界大戦中にはナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命し、ニューヨークのニュースクールで人類学をさらに学び、ロマン・ヤコブソンなど構造主義的言語学に触れたことが、その後の理論形成に決定的な影響を与えました。
戦後フランスに戻ったレヴィ=ストロースは、コレージュ・ド・フランスで人類学の教授を務め、多くの著作を通じて構造主義の立場を確立しました。代表作『悲しき熱帯』(1955)は、旅行記と民族誌、哲学的省察が融合した独自の書物として高い評価を受けました。その後の『親族の基本構造』(1949)や『神話論理』シリーズ(1964–1971)では、神話や親族制度に見られる深層構造を分析し、人間の思考は文化を越えて普遍的な「二項対立」によって組織されていると主張しました。
彼の構造主義は、文化や慣習の背後にある無意識的な認知の構造に注目し、人間の思考の普遍性を解明しようとする点に特徴があります。レヴィ=ストロースの理論は、哲学、文学、記号論、精神分析など多分野に影響を与え、20世紀の人文科学を大きく変えました。
2009年に100歳で死去するまで、彼は知的探究を続け、人間の文化と思考をめぐる深い洞察を残しました。レヴィ=ストロースは、近代人類学の巨人として、今もなお世界中の学者に多大な影響を与え続けています。
文献リスト:
クロード・レヴィ=ストロース著 (2002) 川田順造訳『悲しき熱帯』中公クラシックス
クロード・レヴィ=ストロース著 川田順造他 (2010) 『道の手帖 レヴィ=ストロース 入門のために』河出書房新社
川田順造著 (2017) 『レヴィ=ストロース論集成』青土社
出口顕編 (2011) 『読解レヴィ=ストロース』青弓社
カトリーヌ・クレマン著 (2014) 『レヴィ=ストロース』白水社
J.G. メルキオール著 (2002) 『現代フランス思想とは何か:レヴィ=ストロース、バルト、デリダへの批判的アプローチ』河出書房新社
渡辺公三著 (2019) 『闘うレヴィ=ストロース』平凡社
渡辺公三著(2020)『レヴィ=ストロース 構造』講談社学術文庫
クロード・レヴィ=ストロース著 (2014) 川田順造訳『月の裏側』中央公論新社 ビデオ