空海のことがよくわかる！クイズ八十八問（その６）

正解：3. 『虚空蔵菩薩求聞持法経』

解説：

『虚空蔵菩薩求聞持法経（こくうぞうぼさつぐもんじほうきょう）』は、記憶力や智慧を授かるための修行法が説かれた密教的な経典で、特に若年者が学問や修行に励むために重視されました。

空海はこの経典に感銘を受け、山林にこもって厳しい修行に励んだと伝えられています。10代の頃にこの経典と出会ったことで、在俗の学問を離れ、出家して真理を追求する道に入る決意を固めました。

『三教指帰』には次のように書かれています。

「ある時、一人の仏道修行の僧侶に会いました。この人は私に『虚空蔵菩薩求聞持法経』というお経を示し教えてくれましたが、そこには「もし人がここに示された修法によってこの真言を百万遍となえれば、一切の教えの文章や意味を暗記することができる」と書いてあったのです。」（加藤精一訳『三教指帰』より）

特にこの経に説かれる「求聞持法（ぐもんじほう）」と呼ばれる修行法は、一定の真言を一定の期間中唱え続けることで記憶力と智慧を得るとされており、空海も実際にこの修法を実践したといわれています。この体験が、のちの密教への関心や、虚空蔵菩薩への信仰につながったと考えられています。

正解：2. 儒学者

解説：

『三教指帰（さんごうしいき）』は、空海が24歳の時に著した思想的対話文で、儒教・道教・仏教という三つの教えを比較し、最終的に仏教こそが最も優れていると論じる作品です。この書に登場する「亀毛先生（きもうせんせい）」は、儒教を代表する人物として設定されています。

「亀毛」とは本来存在しないもののたとえであり、空海が儒教に対してやや皮肉を込めた命名をしていることがわかります。亀毛先生は儒教の立場から道徳や社会秩序を重んじる主張を展開しますが、仏教の教理や宇宙観と比べたときに限界があるとして、空海はその主張を論破していきます。

このように、『三教指帰』の中で亀毛先生は、空海自身の思想形成において儒教の位置づけを考察するための架空の論客として重要な役割を担っているのです。

正解：3. 礼と仁を重視し、道徳による国家秩序の維持を説いた

解説：

『三教指帰』は空海が若き日に著した思想的対話形式の書物であり、仏教・儒教・道教の三つの教えの優劣を論じています。その中で登場する儒学者・亀毛先生は、孔子の教えに基づく儒教の立場から、社会の秩序を保つためには「礼」（社会規範）と「仁」（人への思いやり）が重要であると主張します。彼は、人間社会の安定と道徳的行動を重視し、現実社会での倫理的実践を説くことで、仏教や道教に対抗しようとしました。

「『礼記』にこう書かれています。「父母に病ある時は冠者（元服を終えた男子）櫛けずらず、行くに翔らず、琴瑟御せず（楽器などは奏かない）、酒変に至らず（顔の色が変るほど酒を飲まない）、咲むこと矧に至らず（笑っても歯ぐきが見えるほどの大笑いはしない）」と。これらは、病気の親を思う気持が強くてそういうことができないというのです。また同じく『礼記』にこうもいっております。「隣に喪（不幸）あるときは臼つくに相せず（杵歌をうたわない）、里に殯（亡き人を葬る前に仮に棺に入れて安置すること）あるときは街路に歌わず」と。これは他人の憂いを共に憂いて、区別しないことです。このように、他人の場合でも、親戚の場合でも、礼儀をわきまえることが大切です。親戚に病人が出れば医師を頼んだり、薬を飲ませたりするだけのまごころがなければ、心ある人はどう見るでしょう、恥ずかしくて冷や汗を流しているに違いありません。たとえ他人であっても街中で心配ごとがあるときにその人に対して同情の気持が無く、慰めてあげる情が無ければ、それを見て、心ある人々は、心が寒むざむとして、穴があったら入りたいほどだと思います。」（加藤精一訳『三教指帰』より）

正解：3. 道教を奉じる隠者で、自然との調和や不老長寿を説いた人物

解説：

『三教指帰』は、若き空海が著した思想的対話書で、儒教・道教・仏教の三教の優劣を論じながら、仏教の卓越性を主張する作品です。その中に登場する「虚亡隠士（こぼうのいんし）」は、道教を奉じる隠者として描かれています。

虚亡隠士は、老子や荘子に代表される道教思想を背景に、自然との一体化、無為自然の生き方、さらには仙術や不老不死といった理想を語ります。彼は人間の作為や社会的束縛を断ち切り、山林に隠棲して天地の理に従いながら生きることが真の道であると説きます。

このような立場は、一見して現実社会の喧騒を離れた理想的な生き方に見えますが、空海は最終的に、虚亡隠士の主張が個人の逃避にとどまり、究極の真理や衆生の救済には至らないと批判します。そして、仏教こそが宇宙の真理に通じ、人々を救う真の教えであると論じるのです。虚亡隠士の登場によって、道教の思想が丁寧に紹介されると同時に、その限界も明らかにされています。

正解：3. 仏教を奉じ、煩悩からの解脱と慈悲を説く修行僧

解説：

『三教指帰』に登場する仮名乞児（かなのこつじ）は、仏教の立場から教えを説く人物であり、空海の思想を代弁する存在とされています。彼は、世俗的な名利を捨て、煩悩を断ち、解脱を目指す仏道の尊さを力強く説きます。その風貌は乞食のように質素でありながら、語る内容は深遠で、真理への透徹した洞察に満ちています。

仮名乞児は、儒教や道教が現世的な価値にとどまり、究極の救済には至らないとし、人間の本質的な苦悩の解決を目指す仏教こそが、真に普遍的な道であると主張します。彼は「四苦八苦」を乗り越えるための修行と智慧、そしてすべての人々を救おうとする大乗仏教の慈悲を説き、空海が重視する密教の深奥にも通じる内容を含んでいます。

このように、仮名乞児は『三教指帰』の中核となる人物であり、他の登場人物たちの主張を受け止めたうえで、それを超える仏教の教理と実践を提示することで、空海が仏教を最も優れた教えとして位置づける根拠を示す役割を担っています。彼の登場によって、読者は空海の宗教的覚醒と思想的確信を明確に理解することができるのです。

正解：3. 煩悩を断ち、悟りを得て衆生を救うことが真の道であると説いた

解説：

『三教指帰』において仮名乞児は、仏教の立場からその教義と実践の深さを熱く語る修行僧として登場します。彼は、人生の根本問題である「生老病死」という四苦、さらには八苦に悩む人間が、いかにしてその苦しみから解放されるかを真剣に追求し、答えを仏教に見出した人物です。

仮名乞児の主張の核心は、「煩悩を断ち、悟り（覚り）を得ることによって、生死の迷いから解脱し、すべての衆生を救うこと」にあります。彼は大乗仏教の慈悲の精神を重視し、単なる自己の救済にとどまらず、他者をも共に救う「菩薩の道」を歩むことこそが、真に価値ある生き方であると力説します。

また、彼は儒教の現世的道徳や、道教の個人的な長寿追求に対して、それらが根本的な苦しみの解決にはならないと論じ、仏教こそが宇宙の真理に通じる教えであると位置づけます。このように仮名乞児の語りは、空海自身の思想を代弁するものであり、仏教の卓越性を明示する役割を担っているのです。

正解：3. 生死を大海になぞらえ、無明と煩悩によって人はその海に沈むと語った

解説：

『三教指帰』の中で仮名乞児が語る「生死海の賦」は、人間の苦悩を象徴的に描いた詩的表現であり、仏教の根本的な世界観をわかりやすく伝える重要な場面です。仮名乞児は、生と死（輪廻）の繰り返しを「海」にたとえ、人間は無明（根本的な無知）と煩悩という重荷を抱えて、その果てしない生死の海に浮き沈みしながら迷い続けていると述べます。

この「海」の比喩は、仏教における輪廻の苦しみを象徴しています。人は自らの欲望や執着にとらわれ、正しい道を見失ったまま波間に漂い、いつ終わるとも知れない苦の連鎖に翻弄される存在であるとされます。仮名乞児は、このような迷いの状態から抜け出すには、仏法という船に乗り、釈尊という導師の教えに従うことが必要だと説いています。

この説明は、空海自身が深く理解していた密教的世界観を基礎としつつ、一般読者にも伝わるように工夫された表現であり、仏教がいかに人間の根本的苦悩を見つめ、そこからの救済を志す教えであるかを強く印象づけています。

正解：3. 菩提は悟りの智慧、涅槃は苦しみからの解脱であり、修行によって誰もが到達できると説いた

解説：

『三教指帰』において空海は、仏教の道を明確に提示する中で、「菩提（ぼだい）」と「涅槃（ねはん）」という仏教の核心概念について詳しく語っています。空海にとって菩提とは、真理を悟る智慧そのものであり、煩悩や無明を超えて世界の本質を正しく理解することを意味します。また涅槃は、煩悩の火が消え、輪廻の苦しみから完全に解放された静かな境地を指します。

空海はこれらを決して遠い理想や聖人だけの境地とはせず、「修行」を通じて誰もが目指すべき到達点として語ります。特に『三教指帰』では、仏教が他の儒教・道教と異なり、人間の根本的苦悩に真正面から向き合い、その解決策を実践的に提示する教えであることを強調しています。

このように空海は、菩提と涅槃を単なる抽象概念ではなく、生きた修行の成果として描き、仏道を歩むことの意義と実効性を力強く説いています。それにより読者に対し、仏教の深遠な世界観とともに、日々の生き方としての仏道実践の必要性を伝えているのです。

「私たちはこうして十地を登り切り、三劫を極めつくせば、その間に取り除くべき十種の障碍物をぬぐい去り、本来の真実の姿を体得して、仏陀という最高の位に登ります。菩薩と涅槃の楼台に昇ってそこに住み、法王と称されるのです。この境涯は唯一の、しかも真理と主体が一つになった世界であって、もはや親しいとか遠いとかの差別が心からなくなります。世間を超越した次元ですから、世間の毀誉を離れています。この世界こそ生滅を超えており、改変することもなく、増減を超えていて盛衰の無いものです。これこそ、無限の時を踰えた円満な寂けさであり、過去・現在・未来の三際を通じて変化を超えた無為の境地なのです。ああ、菩提と涅槃の境涯は、何と偉大なものではないでしょうか。また何と広びろとしたものではないでしょうか。」（加藤精一訳『三教指帰』より）

正解：3. 十韻の詩

解説：

『三教指帰』の終盤において、仏教の立場から深い洞察を語り終えた仮名乞児は、その締めくくりとして「十韻の詩（じゅういんのし）」を紹介します。この詩は、仏教の真理を詠み込んだ漢詩形式の韻文であり、空海の思想と宗教的情熱が凝縮された表現となっています。

この「十韻の詩」は、単なる文学的装飾ではなく、仏教の根本教理である無常の思想、生死のはかなさ、悟りの尊さ、修行の意義などを含み、読者に強い余韻と感銘を残すものです。空海はこの詩を通じて、論理的な議論に加えて情緒的・直感的なレベルでも仏教の優位性を印象づけようとしました。

「君臣・父子・夫婦の〈三綱〉、仁・義・礼・智・信の〈五常〉の道は孔子によって述べられました。これを習う者は槐林へ通います。 　変転を説く道教は、老子によって授けられました。これを伝える者は道教の寺院の道観へ臨って学びます。 金仙の説かれた一乗の教え──人生はすべて、仏の光を浴び仏に向って歩むところにその意味がある、という教え──は、教理も利益も最も奥深いものです。 自らも他をも、兼ねて利益し済度します。獣や禽たちも例外ではありません。春の花はやがて枝の下に散り、秋の露ははかなく葉の上できえていきます。 　逝く川の流れは常に流転して住まることがありませんし、急風は幾たびか、音たてて過ぎかつ消えていきます。このように六塵（色・声・香・味・触・法）の世界はすべて無常であり、人々を溺らせる「迷いの海」であり、常・楽・我・浄という四つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、彼岸にそびえる目標の岑（みね）なのです。すでに三界は私たちの真の自由をさまたげる束縛であることがよくわかりました。冠の纓や簪で象徴される官位など、捨て去らないでよいものでしょうか」（加藤精一訳『三教指帰』より）

また、この詩を仮名乞児の口を借りて語らせることで、単なる理屈にとどまらない、生きた仏道としての魅力を読者に伝えようとしたのです。『三教指帰』の結びとして非常に象徴的かつ詩的な場面であり、空海の文才と宗教的感受性がよく表れた名場面といえます。

参考文献：

空海著・加藤精一訳『三教指帰』角川ソフィア文庫
松長有慶著『空海』2022年 岩波新書
竹村牧男著『新・空海論』2023年 青土社