正解:4. 京都学派
解説:
京都学派は、日本を代表する哲学者・西田幾多郎を祖として形成された思想的潮流であり、20世紀日本の哲学界においてきわめて大きな影響を与えた学派です。この学派は、京都帝国大学(現在の京都大学)を中心に、西田の思想を受け継ぎながらも、それぞれ独自の哲学体系を発展させた多くの哲学者たちによって形成されました。
西田幾多郎と京都学派の起源
京都学派の出発点となったのは、西田幾多郎が1911年に刊行した『善の研究』です。この著作において、西田は「純粋経験」という概念を通して、主観と客観が分かれる以前の、直接的な経験の在り方を哲学的に考察しました。これは西洋哲学、特にライプニッツやカントやヘーゲルの影響を受けつつも、禅仏教をはじめとする東洋思想の深い理解に基づいた、独自の哲学でした。
西田は後に、「場所の論理」や「絶対無」といった概念を提示し、すべての存在や対立を超越的に包摂する「場所」としての「無」を基盤に据える思索を展開しました。こうした思想は、東洋の宗教的直観と西洋の論理的哲学を結びつける試みであり、これが京都学派の哲学の中心的な特徴となっていきます。
京都学派の発展と主要な哲学者
西田の思想は、弟子である田辺元によってさらに発展しました。田辺は、「種の論理」や「歴史的存在」といった概念を通して、個人を超えた歴史的共同体の中に人間の存在を位置づけ、哲学と宗教、社会との関係を重視しました。また、田辺は「死と回心」の問題に深く取り組み、個人の有限性と宗教的自己超越の必要性を強調しました。
そのほかにも、京都学派にはさまざまな優れた思想家が登場しました。九鬼周造は『「いき」の構造』において、日本文化に固有の美的感覚を哲学的に分析しました。久松真一は仏教哲学、特に禅の思想をもとに独自の宗教哲学を展開しました。高山岩男、西谷啓治、梅原猛らもまた、西田哲学を出発点としつつ、多様なテーマに取り組んでいきました。
京都学派の思想的特徴
京都学派の哲学には、いくつかの大きな特徴があります。
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- 東洋思想と西洋哲学の融合京都学派は、禅、仏教、儒教などの東洋的精神と、ライプニッツやカント、ヘーゲル、ハイデガーなど西洋哲学の枠組みを統合しようとする試みであり、両者を架橋する独自の哲学を築きました。
- 「無」や「場所」の論理西田哲学における「絶対無」や「場所の論理」は、存在を包摂する場としての「無」を中心に据え、対立や矛盾を超える論理を追求しました。
- 宗教的実存の重視京都学派は、哲学を抽象的な思弁にとどめるのではなく、実存的・宗教的問いと結びつけて考察する傾向がありました。個人の死や救済、倫理の問題に深く関心を寄せたのです。
まとめ:
西田幾多郎(にしだ きたろう、1870-1945)は、近代日本が生んだ最も重要な哲学者であり、西洋哲学と東洋思想を深く融合させ、独自の哲学体系を築き上げた人物です。彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれ、その学問的拠点であった京都帝国大学(現・京都大学)を中心に「京都学派」と呼ばれる一大潮流を形成しました。
生涯
西田幾多郎は1870年(明治3年)、現在の石川県かほく市に生まれました。旧制第四高等学校を中退後、東京帝国大学文科大学選科で哲学を学びます。彼はエリート街道を歩んだわけではなく、生涯を通じて深い思索と内省の人でした。大学卒業後は、石川県の七尾中学校や第四高等学校などで教鞭をとりながら、禅の修行に打ち込みました。若くして長男を亡くすなどの個人的な悲哀も、彼の哲学における「生」や「実在」への問いを深める一因となったと言われています。
1910年、40歳で京都帝国大学の助教授に就任し、ここから彼の本格的な哲学者としての活動が始まります。1913年には教授となり、1928年に退官するまで多くの後進を育てました。退官後も鎌倉に居を移し、思索と執筆活動を続けましたが、太平洋戦争終結の直前である1945年6月、75歳でその生涯を閉じました。
業績と哲学の変遷
西田の業績は、その生涯をかけて深化していった独自の哲学体系にあります。その思想は、大きく初期・中期・後期に分けて理解されます。
初期:『善の研究』と「純粋経験」
西田の名を世に知らしめたのは、1911年に刊行された処女作『善の研究』です。本書で彼は、主観と客観が分かれる以前の直接的な経験そのものを「純粋経験」と名付け、すべての認識や判断の根源に据えました。これは、西洋哲学の主客二元論的な枠組みを乗り越えようとする試みであり、彼が打ち込んだ禅の体験が色濃く反映されています。真の実在とは、意識が何かを対象として捉える前の、生々しい経験そのものであると説きました。
中期:「場所の論理」
思索を深める中で、西田は「純粋経験」の立場からさらに進み、「場所の論理」という独自の概念を提唱します。これは、私たちの意識や存在が、何かより根源的な「場所(トポス)」において成立しているという考え方です。個々の存在は、何もない「無」という場所に「映し出された影」のようなものだと捉えられました。最終的に、彼はこの究極の根拠を「絶対無の場所」と呼びました。これは単なる空虚な「無」ではなく、あらゆる存在を生み出す創造的な働きを持つ根源的な世界そのものであり、西洋哲学の「有」の哲学に対する、東洋的な「無」の哲学の立場を明確に打ち出したものでした。
後期:「絶対矛盾的自己同一」
晩年の西田哲学は、「絶対矛盾的自己同一」という概念に集約されます。これは、現実の世界が、個と全体、一と多、時間と永遠といった、本来なら相容れないものが、矛盾したままに一つに結びついている(自己同一)という構造を持つことを示します。例えば、一人の個人は、世界の中の単なる一点でありながら、同時にその内に世界全体を映し出す存在でもあります。このように、絶対的に矛盾するものがダイナミックな関係を結ぶことこそが、歴史的世界の真の姿であると説きました。
西田幾多郎の哲学は、難解であるとされる一方で、西洋と東洋の知の架け橋となり、日本が世界に誇るべき知的遺産として、今日なお国内外で研究が続けられています。
参考文献:
西田幾多郎著(1911)『善の研究』(小坂国継全注釈)講談社学術文庫
櫻井歓著(2023)『西田幾多郎 分断された世界を乗り越える』講談社現代新書
藤田正勝著(2007)『西田幾多郎:生きることと哲学』岩波新書
中村雄二郎著(2001)『西田幾多郎』岩波現代文庫
竹村牧男著(2012)『<宗教>の核心 西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ』春秋社
田中久文著 (2020) 『西田幾多郎』作品社
鈴木貞美著(2020)『歴史と生命 西田幾多郎の苦闘』作品社