岩倉使節団(左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通) (Wikipedia)

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明治初期の対外関係のことがよくわかる!クイズ10問

日本史クイズ

明治初期の対外関係のことがよくわかる!クイズ10問

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Q1. 1871(明治4)年、岩倉具視を団長として派遣された欧米視察団が、現地で立憲政治の発展、産業の振興など進んだ欧米の国力と日本の立ち遅れを痛感して帰国しましたが、この視察団には、次のうちどんな要人たちが参加していましたか?

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Q2. 岩倉使節団には5人の女子留学生が同行しており、帰国後、女子教育で大きな業績をあげました。その5人とは誰でしょうか?

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Q3. ロシアの南樺太への進出が強まったことを受け、北海道開拓に全力を注ぐために、1875(明治8)年、明治政府がロシアとの間で調印した条約は、どのようなものでしたか?

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Q4.鎖国政策を取り続ける朝鮮に対して、政府部内で朝鮮に対して強行方針でのぞむべきだという「征韓論」を唱えたのは、次のうち誰だったでしょうか?

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Q5. 1873(明治6)年9月、岩倉具視一行が帰国すると、大久保利通・木戸孝允らは内治の整備が先決だとして征韓論に強く反対し、西郷らの征韓派参議はいっせいに辞職しました。この事件を何と言いますか?

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Q6. 1875(明治8)年、事態を打開しようと日本政府が朝鮮沿岸に派遣した軍艦雲揚の示威行動に対し、朝鮮側が砲撃し、これに応戦した雲揚が砲台を破壊し、兵員を上陸させて永宗城を占領した事件を何と言いますか?

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Q7. 江華島事件をきっかけに、朝鮮に圧力をかけ、翌1876(明治9)年に締結した条約は、何と言いますか?

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Q8. 1871(明治4)年、日本が清国との間で結んだ条約は何と言いますか?

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Q9. 1871(明治4)年、台湾に漂着した50名余りの琉球民が原住民に殺される事件が起き、1874年、日本は軍隊を台湾に派遣しました。その後の清国との交渉結果はどのようなものになりましたか?

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Q10. 1879(明治12)年、日本政府は琉球を日本領土として「沖縄県」を設置しましたが、それまでは、琉球はどの国に属していましたか?

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