正解:3. 作家は自分を生きた制度にすることを拒絶しなければならないと考えたから
解説:
ジャン=ポール・サルトルは、1964年にフランス人として初めてノーベル文学賞の受賞者に選ばれましたが、これを辞退したことで世界中に衝撃を与えました。その理由として彼は、「作家は自分を生きた制度にすることを拒絶しなければならない」と述べています。これは、サルトルの一貫した思想──すなわち、自由な実存として自己を確立し、いかなる権威や制度にも従属しないという立場から出た行動です。
サルトルにとって、ノーベル賞という国際的な権威を受け入れることは、自らを制度の一部として象徴化させることに他ならず、それは知識人の自由な表現と行動を損なうものと考えられました。また、彼は過去にもフランス政府からの栄誉や勲章を断っており、ノーベル賞辞退もそうした姿勢の延長線上にあります。
さらに、サルトルはこの辞退によって「ノーベル賞を否定した」のではなく、「自分がそれを受け取ることがふさわしくない」と考えたとも語っています。つまり、彼の辞退は反制度的なパフォーマンスではなく、自己の倫理に忠実であろうとする実存主義者としての行動だったのです。サルトルはこの決断によって、名声よりも思想の一貫性を選んだ哲学者として、強い印象を後世に残しました。
まとめ:
ジャン=ポール・サルトル(1905–1980)は、20世紀を代表する実存主義哲学者として知られ、文学・哲学・政治を横断する幅広い活動を展開しましたが、その思想と実践には多くの批判的論点が存在します。彼は「実存は本質に先立つ」と主張し、神なき世界において人間が自由と責任をもって自己を形成すると説きました。これは近代的主体の自律性を極限まで推し進めたものであり、自由意志の力を再評価する意義があった一方で、あまりにも個人の自由を絶対視する傾向が顕著です。
サルトルによれば、人間は「自由という刑に処せられている」存在であり、どのような状況でも選択しないことすら一つの選択であるとされます。しかし、この考え方は現実の社会的・経済的・歴史的な制約を軽視しており、特に貧困、抑圧、差別などに直面する人々に対しては、不適切な責任論に陥る恐れがあります。たとえばメルロー=ポンティは、サルトルの自由観が人間の「状況的存在」という現実を捨象していると批判しました。
また、サルトルは倫理においても主観的選択に重きを置きすぎており、普遍的基準の不在が道徳的相対主義を招くという指摘もあります。『存在と無』では他者の存在を「まなざし(regard)」として描写し、他者との関係において自己が疎外される構図を提示しましたが、これは他者との肯定的関係や連帯の可能性を狭める傾向があります。このため、エマニュエル・レヴィナスのように、倫理を他者の呼びかけへの応答とみなす思想家からは、サルトルの他者論は倫理の根拠を欠いていると批判されました。
政治的には、サルトルは反体制的知識人として多くの運動に関わりましたが、そのスタンスは一貫性を欠いていたとの批判もあります。たとえばスターリン体制への最初の擁護や、毛沢東主義への傾倒など、自由を重視するはずの彼が全体主義的政権に共感を示した事実は、彼の思想の実践的妥当性に疑問を投げかけます。最終的にはソ連や共産主義の弾圧を批判しましたが、思想と現実の整合性という点で首尾一貫していたとは言いがたい面もあります。
サルトルの文学観にも問題点が指摘されています。彼の「アンガージュマン(関与)」という概念は、作家の社会的責任を強調する点で評価される一方で、芸術の自律性や創造性を政治的目的に従属させかねないという懸念があります。ノーベル文学賞を辞退した行為もその一環と見られますが、それが自己矛盾的であるとの批判もありました。
総じて、サルトルの思想は近代的主体の自由を賛美する一方で、その自由を支える現実的条件や社会的文脈への洞察が不足していた面が否定できません。そのため、彼の哲学は一時代を画した革新性を持ちながらも、今日の複雑な倫理的・政治的問題を考える上では、修正や乗り越えが求められる部分も多いと言えます。
参考文献:
海老坂武著(2005) 『サルトル 「人間」の思想の可能性』岩波新書
末次弘著 (2002) 『サルトル哲学とは何か』理想社
梅木達郎著 (2006) 『サルトル 失われた直接性を求めて』NHK出版
清眞人著 (2004) 『実存と暴力 後期サルトル思想の復権』お茶の水書房